ある日の分かち合いでのこと

今日私たちの教会は素晴らしいことを体験しました。
以下は名前は伏せてありますが赤裸々な告白です。
あまりにも素晴らしいので記録に残しておきたいと思いました。



それはいつものように有志であつまる祈り会でのこと。
昨日されたデボーションの感想を分かち合うだけの集会です。

昨日のデボーションの箇所はイザヤ書の53章10節〜12節でした。
8人がその箇所で感動したことを話しました。
ある男性リーダーはその箇所から子供頃に家に泊まっていた父親の友人から性的ないたずらを受けたことを話し、それから男性恐怖症になったこととを告白しました。

それを聞いたとなりの女性はいきなり泣き出し、「私も人を信じて自分の悩みを打ち明けたいけど誰も信じられない」と言い、最後思いっきり机をドンドンと4回両手で思いっきりたたきました。

私たちはその怒りと悲しみが良く理解できました。


そして、そこに居る他の5人は次々と自分が今まで何十年も言えなかった秘密を告白しだしました。

口火を切ったのはある男性です。
彼は山で父親の暴力を小さい頃から受け中学を卒業すると家を飛び出しました。その後父親は死にました。途方にくれた彼は都会で水商売に就きある日、男性に声を掛けられ、その男性があまりにも優しかったため、関係を持ってしまいました。2年後に彼は捨てられました。

ある女性は中学生の頃、山の教会の青年会の集会に出た後の帰り道、道端で男性から性的な暴力を受けました。彼は山では有名な占い師の息子で、もしばらしたらお前の家族を呪い殺すと言いながら暴力をふるいました。その後、何回かその暴力は続き、彼女はその村から逃げるため、ある仲介会社を通して台北の売春宿に売られてゆきました。15歳で警察に保護され、いったん山に戻り、結婚までしましたが子供が出来ないと理由で離縁され、結局台北で売春を続けていました。

もう一人の女性は6年生の頃、一人で部屋に寝ていると見知らぬ男が窓から入り、首を絞めながら性的な暴力を行いました。朝母親にそのことを言いましたが、その後この話は全く家ではしなかったということです。家族は何の処置もせず何事もなかったように振舞いました。

 私は話を聞きながら悲しみにくれました。台北の原住民の多くが同じような経験を持っているからです。鍵を掛けない習慣、お酒を飲む習慣、占い師これは原住民の文化です。でもそれが小さな子供たちには凶暴な凶器になりうるのです。

でもそれと同時に深い感動を覚えました。彼らはこのくびきから勇気をもって逃れたいと持っている。そして、十字架にかかって下さったイエスキリストはこの分かち合いを通して、そのくびきを引き受けようとして下さっているということ。

最初に自分は誰も信じられないと怒りに震えた彼女は、彼らの告白を聞くと表情が変わり、「なぜ私をそこまで信用してくれるのか」と尋ねました。そして彼らは彼女に「あなたはそれに値する家族だから」と語りました。


この日この小さな部屋で起きた集会はリバイバルだと感じます。
集会の後、泣きはらした顔でしたが、みな晴れ晴れした澄んだ瞳をしていました。

私は台湾の原住民と出会えて本当に幸せだったと感じます。
この晩、私は10時間以上もぐっすりと眠りました。